元シングルマザーのシニアライフ(仮)

一人息子を亡くした元シングルマザーの日々のメモです。

目の前のこと

11月は、前半がコロナ禍でできなかったことをやって、よかったなぁって思っていたのだけれど。


後半は心身ともにダメージを受けていた😢
高齢の父が膝関節炎をやって、今までにないくらい日常生活動作に支障が出て、その介助やら父がやっていた家事やら仕事やらが一度に重なり、ストレスMAXでとてもとてもつらかった。
プラス通常の母の見守り。(認知症だと思うけれど未受診。)


この家は私がいなかったらどうなるんだろう?
と思ったりもするが、私がいなければそれなりにやるしかないし、ご近所さんが助けてくれるかもしれない。


1番の誤解は、いつまでも父が元気で動けて家事を任せられると思っていたことかもしれない。
父は元気だけれど、下肢の関節が弱いのだ。
それでも痛みが引けて動けるようになると、いつものように働きたがるのが問題。
今朝も朝から足が痛いと言って、しばらく使ってなかった杖を使って移動している。
膝関節炎が治った父は、すぐに元のように動き出した。
本人がいいならと私も気にしないでいたが、やはり足に負荷がかかるようなことをしない方がいいのだ。


介護保険サービスを使っていない両親と暮らす私は、他の親の介護を在宅でしている人に比べたら、全然楽なんだろうと思うけれど、今までの生活が立ち行かなくなると私はつらい。
(続く)

還暦カウントダウン

コロナが落ち着いてきたので、今のうちに県外の友だちに会いに行ったり、仲間と飲み会(少人数、マスク会食、ソーシャルディスタンス)を楽しんだり、趣味の集まりに参加したりしています。


飲み会仲間は、みんな私より一回り以上も年下で、彼ら彼女らが20代30代の頃からの付き合いですが、コロナでしばらくご無沙汰しているうちに



話題が中年の健康のことで盛り上がる、盛り上がる。笑



あなたたちもそういうお年頃になっちゃったんだ〜🤔
と、老年期に差しかかりつつある私は感慨深いです。笑


みんな一緒に歳をとっていくわけで。
私だけが歳を取るわけではないのです。



最近、10年前の私はもっと動けていたな、もっといろいろできていたな、と感じることが多いです。
休日なんてすぐに終わっちゃう。
でもこれって、スマホをいじっている時間が大きいのかもしれないけれど、それにしても…です。
そうそう、高齢の両親の見守りをする時間が取られるのも大きいです。
10年前は、いや3年前は父の運転する車で飲み会の会場近くまで送ってもらえました。笑
父が運転をやめたので、父のお出かけで私が車を出さないといけないし。


あれもやりたい、これもやりたいっていうのは、ずっと思ってはいますが。


60歳の私はどうしているのやら。

自己肯定感

「自己肯定感を無理に上げる必要はない。むしろ逆効果になることもある」


この文章を読んで、救われた気がしました。
我が子が亡くなってから、私はこの「自己肯定感」の呪いに、とらわれがちだったような気がするのです。
そもそも私は子どもの頃から自分を「劣等感が強い」と感じていました。


「私を見て!私の話を聞いて!私と一緒にいて!」


こういうセリフが絶対に言えなかったのです。
私の親は毒親ではありませんが、理想的な親とは思っていませんでした。
多分、子どもの頃に親を見限ったと思います。
決してネグレクトだったとかいうこともなく、共働き家庭でむしろ父はイクメンの先駆けですらありました。


「自己肯定感が低い」というフレーズは私にとって呪いのようになりました。
自己肯定感が低いとダメという価値観を覆したかったです。
でもそもそも自己肯定感が育っていない私には無理なことでした。


一方で、どんな自分にもOKを出すのも「心のクセ」に気づいて対処してからでないと、これも難しいかなと感じます。


そうだ、私はどんな自分にもOKを出したいのです。
なりたい自分になるってそういうことかなと思います。